読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

zakki_diaryのブログ

日々の記録。

虐殺器官読み終えて

※ネタバレ多いのと私見
 
実家帰る時の移動時間にだけ読んでいたので、4月に読み始めてやっと昨日読み終わった。

 

読み終えて、ラストの展開にすんなりと納得ができなかった。
なんで納得がいかないのか、色々と物語の矛盾を探してみたけど、どうも物語に対して不満があるわけではなかった。
 
時間が経って分かったのは、この物語に対してモヤモヤしたんじゃなくて、この主人公のクラヴィスに対してモヤモヤしたんだということ。
明らかに5部の5(p369)から主人公が自分で考えている描写がなくて、行動がブレブレに思えたのが原因だと思う。
ルツィアとジョンポールに対して、すんなりと考えを受け入れすぎじゃないかと思った。
これまでの主人公の会話や思考を見ても、頭が良くてモラルもあったように思えたし、場面ごとに色々と思考していたり、葛藤している様子があった。
それなのに、ルツィアに対しては愚直に従ったりジョンに言いくるめられていたり、ラストに近づくにつれバカになっているように見えたし、同じ人物に思えなかった。
「ジョンポールを逮捕して」っていうルツィアの思いだって根拠が乏しかったと思う。
アメリカ国民には自由の責任として犠牲になった人のことを知らなければいけないっていうのも、国民が望んで行ったわけではないのに、その後のアメリカのことを考えずに倫理性ばかり優先してるように思えて、おこがましさを感じた。
それに主人公はルツィアに固執するあまり、ウィリアムズを殺してしかも祖国を血の海だなんて、感情的になりすぎだろと。
主人公がルツィアに縋っていた描写は何度かあったけれど、例え縋る存在が消えたとしても、主人公は「仕方のないこと、分かっていたこと」として割り切ってしまえるような、芯の強さがあるものだと思っていた。
まあ、読み返すと確かに主人公はずっと罰を求めていたわけで、その末にエピローグでああいう結果になるのも無理はないとは思えるけれど。
だけど、エピローグの主人公はどうもおかしかったし、狂っていたんじゃないかと思う。
ルツィアに罰を求めていたようだけど、自分の行動の責任の在処なんて自分の中に見いだすものであって、いくら自分自身が信じられないとしても、他人から教えてもらうものじゃないと思う。
そういう点では、ウィリアムズの方がよっぽど弁えていたように思う。
「この世界がどんなにくそったれかなんて、彼女は知らなくていい。この世界が地獄の上に浮かんでいるなんて、赤ん坊は知らないで大人になればいい。俺は俺の世界を守る。そうとも、ハラペーニョ・ピザを注文して認証で受け取る世界を守るとも。油っぽいビックマックを食いきれなくて、ゴミ箱に捨てる世界を守るとも」
「嘘っぱちだろうがなんだろうが、すでに走っちまってる経済は紛れもない本物なんだぜ」(ウィリアムズより(虐殺器官/伊藤計劃))
自分以外のものに罰を求めようとする主人公の行動は、どうもエゴだし、身勝手に見えてしまった。
ナノマシンのせいにして、自分を定義できないからと罪の責任転嫁をするのはどうなのか。
いきなり相棒に殺されたウィリアムズには同情してしまったし、主人公に共感できなかったな。
 
色々思うところはあったけど、面白い小説だった。
 あえてこういう終わり方にしたのかな、と思ったりもした。
物語よりも考え方の整理がついていくのが楽しかった。
 例えば、自由についての話とか、登場人物の思想とか、社会の構図とか、既視感を感じた部分もあったけど、為になる考え方が沢山あって楽しかった。
「自由の選択の問題ですね」
「労働はその個人の自由を奪うけれど、見返りにもたらされる給料で、さまざまな商品を買うことができる。かつて自分で畑を耕し、収穫し、狩りに出て獲物を捕まえなければならなかったその時間を、農家に代行してもらって、収穫済みの野菜や、解体済みの肉、あるいは調理まで済んだ食べ物を手に入れることができる。ある自由を放棄して、ある自由を得る」
「若者は絶対的で純粋な自由というものがあると思い込んでいる場合が多い。若者はそうした偽りの自由を通過し、謳歌する必要があるんです。大人になって様々な決断を迫られる状況になった時、みずから選ぶ自由がより高度な自由だと、リアルに感じてもらうためにはね」*1

高校卒業して、親元を離れて、ようやくこれまで当たり前に過ごしてきたことについて疑問を持つようになった。

というよりも、考えたくなったんだと思う。

これまで人に流されるように生きてきた自分には、他人が基準だった。

親が、先生が、クラスメイトが、その他大勢が言ってるんだから正しいという感じで、その段階で考えるのを止めていた。

それが楽だったし、それでも何とかやっていける環境だからそうやって生きてきた。

でも、これから社会に出ていくことを考えたとき、自分には何もないように感じてしまって、本当にこのまま生きていいのか、漠然とした不安が大きかった。

これまでの自分の行動ですら、自信を持てなかったことが多いし、大学入ってから一人で思い悩むことも多かった。

そもそも大学に入った動機でさえ曖昧なものだし、明確な意思があって入学したわけじゃない。

将来について色々と悩むことも多いし、本当にやりたいことというように考えると答えは出ない。

やりたいことがないと思ったこともあるけど、やりたいことはあるし、好きなこともあるし、嫌いなことも判断できる。

ただ、本当にやりたいことなのか?という問いに、自信を持ってやりたいと言い張れる覚悟がないし、これからどうやって生きていくのが自分にとって正しいのか、ずっと考えているけど分からない。

もしかしたらずっと求めていくものなのかもしれないし、見えていないだけですぐ近くにあるものなのかもしれない。

考えることでもないものなのかもしれない。

でもこうして考えるようになれたのも、他人がどうであれ自分の中では進歩だと思っている。

何もない人間なりに、何者かになりたい。

自由の話は一例だけど、虐殺器官には、考えさせられる文章が沢山あって、読んでて楽しい小説だった。

「人々は見たいものしか見ない。世界がどういう悲惨に覆われているか、気にもしない。見れば自分が無力感に襲われるだけだし、あるいは本当に無力な人間が、自分は無力だと居直って怠惰の言い訳をするだけだ。だが、それでもそこはわたしが育った世界だ。スターバックスに行き、アマゾンで買い物をし、見たいものだけを見て暮らす。わたしはそんな堕落した世界を愛しているし、そこに生きる人々を大切に思う。文明は....良心は、もろく、壊れやすいものだ。文明は概してより他者の幸せを願う方向に進んでいるが、まだじゅうぶんじゃない。本気で、世界中の悲惨をなくそうと決意するほどには」*2

書き終えて自己満足。もしかしたら改変するかもしれない。