zakki_diaryのブログ

日々の記録。

5/10

押見修造先生の「惡の華」を読み終わった。

マンガボックスで毎週読んでたけど、続きが気になって最後まで読んでしまった。

この漫画はもっと早く読みたかったな。高校生の頃とかに。

共感する部分は多いけれど、全部通り過ぎたことだなと感じた。

特に高校生編は、なんだか分かる部分が多かったな。

共感されない辛さとか、人との距離の置き方とか・・・

クラスっていう集団にいると、出る杭は打たれる雰囲気があるから自重してしまって、少し自意識過剰な部分もあるから「自分はこういう立ち位置なんだからこういう振る舞いしないと」みたいな変なレッテルを自分自身で貼ってしまう。

これは大学でも一緒だけど、昔に比べたらマシかな。

人見知りな部分もあるから自分から関わろうとしたくないプライドもあるし、高3ではこれまでの知り合いがみんなそれぞれのグループに属してて、でもどうせ卒業するから関わらなくてもいいやって気分も強まって、自分から他人に対して壁を作って・・・みたいな。

だから高3の頃はとても居心地悪かった。

嫌な奴もいたし、休み時間はいつも他のクラスに行ってたな。

あの頃にこの漫画を読んでいたら、どこか心が軽くなる部分もあったかな・・・なんて考えてしまった。

東京喰種にハマったのもあの頃だった。

あの頃は自分と向き合ったりなんてこともしなくて、受験勉強を言い訳に人と関わろうとしなかったな。

気持ち的にも充実してなかったし、失敗してしまったけど。

ymitsuno.hatenablog.jp

 

この方が上手く解説してて、分かりやすかった。

 

”僕の場合は本だったけど、それが映画や音楽だった人もいるだろう。何かに感動して、それを誰かに伝えようと思ったけど、分かってくれそうな人が周囲にいない。そんな閉塞感を、思春期に感じていた人は意外と多いのかもしれない。 しかし今の時代、好きな何かについて語ろうと思えば、インターネットにレビューを書けばいい。何かを見たり聞いたり読んだりして、それが気に入ったならば、「いいね」ボタンを押せば、その感動をお手軽に他人と共有できてしまうのだ。本当にいい時代になったとは思う。”

感動をシェアすること〜押見修造の『悪の華』を読んだか? - 青空研究室

 この部分は確かにそうだよなって思った。

Twitterにしろ、ブログにしろ、内面にたまったものを吐き出す手段があるから気が楽になる。でも現実で救われる部分があれば、それが一番いいんだけどね。

だからといって、理解されないからってその人の感性を否定しない。その人それぞれの世界があるし、相性があるし、話題に出すこともできない相手だっているけど、それでいいと思った。

自分はこういう趣味がありますよって一度話して、受け入れられなかったらもうその話しないようにすることにした。

 

ymitsuno.hatenablog.jp

この記事の内容も面白かった。

ほとんど去年悩んでいたことばかりだったけど、哲学書とかも触れてて面白い内容だった。俺なんか本は全くと言っていいほど読んでないのだけど。

でも考えていく中で、何事も程よいバランスだって思ったし、これまで自分が出した答えみたいなものはあながち間違いじゃないのかなって思った。

 

とにかくこういうのはもっと早く触れたかった・・・

 

最近自分が落ち着いてきたと感じられるようになったのは、今の自分の環境が自分自身の選択による結果だということを自覚できるようになったからだと思う。

これは一見すると当たり前の事なんだけど、「なんで俺はこうなんだろう」とか「本当だったらこうなるはずだ」みたいな、理想的な自分像と現実の自分のギャップが、ネガティブな気持ちに繋がってしまう。

「今」の自分が、自分の価値観を優先した結果としてこうあるんだと実感できるようになると、主体的に自分の行動を肯定できるようになるんだと思う。

つまり理想的な自分像よりも、現実にある「今」の自分の方がより自分らしいと実感できたから落ち着いていられるんだと思う。

恥ずかしいセリフ禁止