読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

zakki_diaryのブログ

日々の記録。

聲の形

「聲の形」の劇場版アニメが9/17に決まったということで、久しぶりに全話読み返していたらこんな時間になってしまった。

多分、自分がこの物語にいたとしたら、モブクラスメイトの一人だろうなあ。

俺は自己保身の塊なので、なるべく嫌われないように目立つことは避け、大人しくいるように過ごすだろう。振り返ると、そういう学生生活だった。

関わりたくない人とは関わらないし、表面上でしか接しない。

当時はそのこと自体も気づいてなくて、自分は優しい人間なのだと思っていたこともあった。

誰かを悪くいう事は無いけれど、それを止める事も無い。

 

こうなった原因は、小学生の頃にガキ大将と喧嘩してハブられた経験からに違いないと自分の中で確定している。

ガキ大将の名の通り、自分のやりたいようにやるし、誰も反発することはなかったけれど、あまりにも度が過ぎていくのでみんな少しずつ避けていた。

俺もそれが嫌で、他の遊び仲間が別の場所で遊ぶようになったときはそっちで遊んでいた。

ある日公園でガキ大将も一緒にみんなと遊んでいたら、ガキ大将が水鉄砲を執拗に俺に向かってかけてきたので言い合いになった。

きっとガキ大将も思うところがあったのだろう。

不幸にも親がその時やってきて、「ママが迎えにやってきたよ」とバカにされたので、「死ね」と言い放って帰った。

次の日、ガキ大将の行動に俺と同じように嫌気をさしていたはずの他の仲間は、そのガキ大将とつるんでいて、クラスでぼっちになってしまった。

その経験が三日くらい続いて、当時の自分はショックだった。

もちろん他の仲間の本心と行動は噛み合っていなかったのかもしれないが、誰を信じればよいのか分からなくなってしまった。

その後、向こうから謝ってくれたので、自分は許したのだが、初めは自分に非がないと思っていたので謝らなかった。

それが気に食わなかったらしくて、逆に俺を許してもらえず、自分も謝ってしまった。

上下関係がはっきりした瞬間である。

それからというものの、出る杭は打たれるような行動はしなくなった。

その頃から遊び仲間にどうしちゃったんだ?と当時言われた覚えがある。

小学6年の長期休みは苦痛だった。

誰かが家のチャイムを押して遊びに誘ってくれないと、自分が必要とされてない気がして、遊びに行けなかった。

 

 中学に入るころには、疑心暗鬼になってしまい、誰にどう思われているのかをとても気にして、怖くなってしまって遊びに出掛けなくなった。

思春期だったのかなと今振り返ると思う。

「聲の形」は、真っ向から立ち向かっていて、偉いし凄いと思う反面、漫画だからあり得る展開なのだと思う。

まず過去に虐めた奴と関わりを持とうとする気になるのか?

結果的に石田は西宮ちゃんに好かれていたからこういう結末に成れたわけで、そこに至る過程が現実で実現するかといえばあり得ないと思う。

当人の贖罪ということであっても、被害者が当事者の反省を知ることができるので、謝罪したことは良いと思う。

というか、そこで終わりにしてくれれば良かった。

この後過去の同級生と馴れ合いに発展するのは、物語の世界が地元という括りでしかないということや、物語上の都合なのだろうなあと思ってしまった。

とはいえ、登場人物の心理描写はリアルだなと思う。

メンバーそれぞれの内面っていうのはどれも感じたことがある感情だろうなあと思う。

植野なんて、行動はクズだけど内面で考えていることは意外と立派に感じた。恋愛脳さえ除けば。

みんなそれぞれ欠点があって、共通項が少なすぎるメンバーがつるむことは不可解だけれど、その組み合わせだからこそあんなはちゃめちゃな展開になったんだろうなと思う。

現実だと避けるんじゃないかな。

というか俺自身そういうのを悟ったし、深く分かり合うには価値観が合わないと楽しめないと思う。

それは逃げであって、もしかしたら性格の悪い事なのかもしれないけれど、この世界なんて不条理なことは多いし、どうしても分かり合えない人間はいる。

だからと言って他人を攻撃することは良くないっていうことはものすごく伝わる、そんな漫画だと思う。

一番の原因は小学生の担任だと思うんだよなあ、子どもの世界と大人の世界って知識量や視野の広さが違うんだから、正しい方向に持っていけばあんなことにならなかっただろうにと思った。