zakki_diaryのブログ

日々の記録。

6/12

星野源の武道館チケットが当たった!

うれしい

wikipediaの「人生の意義」という記事がとても共感した。

哲学書は厚いし読む気もしないけれど、こういう風にまとめてくれるととても読みやすい。

ゲーテの見解

ゲーテは大作『ファウスト』において人生の意味をテーマとして扱っている。そこでは、今ある空虚を満たそうと欲望をどれほど追い求めてもその空虚は埋まらない、それどころか、欲望の充足を追求すればするほど、かえってその空虚が際立ってくる、ということを示している。金が欲しい、地位や名誉が欲しい、異性が欲しいなどの欲望は、欲望を満たしたとたんに次の新たな欲望が生じ、どこまでいっても満たされない、という「永遠の欲求不満」の状態に置かれてしまう。

なお、ファウストの心の旅があらゆる学問への絶望から始まるように、人生の意味や真の幸福というのは、学問や思索によって得られるものではないのであり、「人生の意味は○○である」とか「真の幸福とは○○」であるということを書物や文章を読んで学んだところで、それで人生の意味や幸福が得られるわけではなく、実際に「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ人生の意味や真の幸福はつかむことができる、と表現されているのである[23]

神谷美恵子の見解

人は長い一生の間にはふと立ち止まって自分の生きがいは何であろうか、と考えてみたりすることがあり、このようなときは、大まかにいって次のような問いが発せられるわけだろう、と神谷は述べる。

  1. 自分の生存は何かのため、またはだれかのために必要であるか。
  2. 自分固有の生きて行く目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか[26]

人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われ、それは上記の問いの第一と第二が一致した場合であろう、と述べる。だが、これらは必ずしも一致しない。生活のための職業とは別に、ほんとうにやりたい仕事を持っている人も多い。それらの両立が困難になると、うっかりすると神経症になる人もあり、中には反応性うつ病や自殺にいたる人さえいる[27]

「生きがい感」を一番感じている人種というのは、使命感に生きている人(自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力で歩いている人)、ではないか、と述べる[28]。このような使命感の持ち主は、立派な肩書や地位を持って目立っているというわけではなく、むしろ人目につかないところに多くひそんでいて、例えば小、中学校の先生、特殊教育に従事する人、僻地の看護士など、いたるところにいる、と述べる。

社会的にどんなに「立派」とされることをやっている人でも、自己に対してあわせる顔のない人は次第に自己と対面することを避けるようになる。心の日記もつけられなくなる。ひとりで静かにしていることも耐えられなくなり、自分の心の深いところからの声に耳をかすのも苦しくなる。すると、生活を忙しくして、この自分の心の深いところからの声が聞こえぬふりをするようになる。この、「自己に対するごまかし」こそが、生きがい感を何よりも損うものである、と指摘する[29]

使命感に生きる人にとっては、たとえ使命半ばで倒れたとしても、事の本質は少しもちがわない。自己に忠実な方向に歩いているかどうかが問題なのであって、その目標さえが、正しいと信じるところに置かれているならば、使命の途上のどこで死んでも本望であろう、と述べる。これに対して、使命にもとっていた人(使命に背いていた人)は、安らかに死ぬことすらできない[30]

コピペしてしまったけど、神谷美恵子さんの考えはもっともだなと感じた。

今度本を読んでみよう。